インフラツーリズムの急成長と地方創生への新展開
インフラマニアが支える地方観光
2024年から2025年にかけて、日本国内で予想外のブームが巻き起こっている。それが「インフラツーリズム」、すなわちダムや橋、マンホール、工場といったインフラ施設を観光地として訪問・撮影する活動である。かつてはニッチな趣味と見なされていたこの活動が、今や年間数百万人規模の観光トレンドに成長し、地方経済に大きな波及効果をもたらし始めている。インフラツーリズム現象の中心にあるのが、「ダムカード」というアイテムである。2007年に国土交通省が水資源機構の広報活動の一環として始めた「ダムカード配布」プロジェクトは、当初、ほとんど注目されなかった。しかし2020年代に入ると、カードコレクターや写真撮影愛好家の間で突然注目度が高まり、2025年現在、全国100以上のダムでカードが配布されている。累積配布枚数は2025年時点で5000万枚を超えており、ダムカード目当ての来訪者は月100万人を超えるペースとなっているのだ。
ダムカード現象の拡大
ダムカードの人気は、単なるコレクターアイテムの流行に留まらない。全国各地のダム訪問者数が急増し、それに伴い駅周辺の飲食店や宿泊施設の利用者も増加している。例えば、黒部ダム(富山県)では、2024年度の年間来園者数が前年比40%増加し、過去20年で最高の200万人を超えるペースを記録している。より興味深いのが、ダムカード配布をきっかけに、地元自治体がインフラツーリズムの拠点化を目指す動きが活発化していることである。福岡県の下筌ダムでは、2025年3月にダムカード専門のミュージアムがオープンし、ダムカード歴史展示や、複数のダムカード同時交換システムが導入された。この施設のオープンに伴い、下筌ダム周辺への観光客数は月3倍以上に増加し、地域の雇用創出にも直結している。
マンホールカードと橋梁マニアの台頭
同様に急成長しているのが「マンホールカード」である。下水道や水道管などのマンホール蓋は、各地方自治体がデザインして製造しており、その独特の美的価値が2020年代後半から注目を集めるようになった。2024年、日本下水道協会が「マンホールカード事業」を正式にスタートさせると、瞬く間にブームが拡大した。2026年4月現在、全国900以上の自治体がマンホールカード配布に参加しており、カード総数は1000種類を超えている。マンホールマニアたちは、特定のマンホール蓋を探して全国を巡り、その所在地を訪問してカードを入手するという活動を行っている。このトレンドにより、従来は観光客の少なかった地方都市や農村部にも、意外な来訪者が増えているという。
橋マニアコミュニティの形成
同じくインフラツーリズムの大きな要素として、「橋マニア」によるコミュニティが成長している。全国の鉄道橋、道路橋、歩道橋などを撮影・記録することを趣味とする人々が、SNS上で積極的に情報交換し、オフ会なども開催するようになった。2026年3月には、初の全国橋マニア大会が東京で開催され、約5000人の参加者が集まったと報道されている。こうした橋マニアの活動が、予想外の形で地方創生に貢献し始めている。例えば、長野県の三方ヶ原地域では、かつての産業遺産である旧橋梁がマニア向けの観光資源として再発掘され、その保全と活用に関する地域プロジェクトが立ち上がった。廃線跡の鉄橋を活用したウォーキングツアーなども企画され、月3000人程度の来訪者を集めるようになっている。
インフラツーリズムの経済効果
インフラツーリズムによる経済波及効果は想像以上に大きい。訪問者の交通費、宿泊費、飲食費はもちろんのこと、地域の土産物販売店、カメラ専門店、ホテル・旅館産業まで、広範な業種が恩恵を受けている。国土交通省の2025年調査によると、インフラツーリズム関連の観光消費は年間1000億円を超えており、この数値は毎年急速に拡大しているという。特に地方自治体にとっては、新しい観光収入源として極めて重要な位置付けになっており、複数の県が「インフラツーリズム推進課」といった新しい行政部門を設置し、積極的にこのトレンドを活用しようとしている。
地域の雇用創出と産業振興
インフラツーリズムの拡大に伴い、新しい雇用機会が地方で創出されている。ダムカード配布スタッフ、マンホールカード配布スタッフ、ガイド業、ツアーオペレーター、土産物販売店員など、多岐にわたる職業機会が生まれている。特に、高齢化が進む地方の過疎地域において、若い世代の雇用機会となっていることは、社会的に極めて重要な意味を持っている。福岡県と大分県にまたがる某ダムの周辺地域では、インフラツーリズムの拡大に伴い、2024年~2025年の2年間で新たに約200人の雇用が創出されたとの報告がある。
グリーンインフラとの相乗効果
興味深いことに、インフラツーリズムの盛り上がりが、グリーンインフラ(自然を活用したインフラ施設)への関心向上にもつながっている。従来、土木工学の専門家にしか関心がなかったようなテーマが、一般層にも認識されるようになってきた。例えば、流域治水を目的とした「田んぼダム」や「遊水地公園」といった施設が、新たなインフラツーリズムの対象として注目を集め始めている。これまで地味な河川改修施設と見なされていたものが、カメラマンや自然観察家の格好の撮影スポットとなっているのだ。こうした動きは、気候変動への対応強化という社会的要請と、インフラツーリズムというエンターテイメント需要の予想外の結合を示唆している。
自治体の産業振興戦略への組み込み
地方自治体の産業振興戦略にインフラツーリズムが組み込まれるようになったのも、2025年の顕著な変化である。新潟県、岐阜県、和歌山県など、複数の県が「インフラ観光マスタープラン」を策定し、地域のインフラ施設の最大限の活用を図り始めている。これに加えて、従来のスキーリゾートや温泉地といった季節限定の観光地に対して、インフラツーリズムは年間を通じた安定的な観光需要を生み出す可能性も指摘されている。ダムカードやマンホールカード集めは、天候に左右されず、季節を問わず楽しむことができるからだ。
課題と今後の展開
インフラツーリズムの急成長に伴い、いくつかの課題も顕在化し始めている。第一に、施設の過剰な混雑である。人気の高いダムでは、カード配布の際に行列ができるなど、施設管理に支障が出始めているという報告もある。第二に、安全管理の徹底である。マニアたちが危険な場所での撮影を試みるケースもあり、事故防止のための安全教育やルール周知が急務となっている。国土交通省は2026年3月、「インフラツーリズム安全ガイドライン」を公表し、各自治体・施設運営者に対して安全管理の強化を促している。
持続可能性への向かい方
より長期的な視点では、インフラツーリズムの持続可能性が課題である。当初のブームが一過性に終わるのではなく、安定的な観光需要に転換できるかどうかが、地方創生における重要な課題となっている。これに対応するため、多くの地域が、単なるカード配布に留まらず、インフラ施設の教育機能を強化し、より深い学習体験を提供することで、リピーター確保を目指す方向に動いている。
結論:インフラが生み出す新しい観光カルチャー
ダム女子、橋マニア、マンホールカード集め——これらの活動は、一見すると変わった趣味に見えるかもしれない。しかし、これが地方創生の新しい可能性を切り開き、インフラへの社会的関心を大幅に向上させ、人口減少地域に新しい経済機会をもたらしているという事実は、極めて重要である。インフラツーリズムは、単なるエンターテイメント現象に留まらず、日本の地域社会の新しい活性化モデルとなりうるのだ。
